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校長あいさつ R5.6~R7.3

 桜の開花が、待ち遠しい今日この頃です。

 先日の卒業証書授与式では、大変お世話になりました。私にとって屈巣小学校で4回目の式となりますが、今年も感慨深いものとなりました。式の中で、渋沢栄一・豊田佐吉・松下幸之助・安藤百福・本田宗一郎を紹介し、時代は違うけれど、5人とも「人の役に立つ志」があったから、偉業を成し遂げられたこと。そして、この先の未来で偉業を成し得るのは、卒業生自身であり、「人の役に立つ志」をもって努力してほしいと伝えました。自分のために生きる自分と人のために生きる自分。そのバランスのとり方が難しいのですが、私自身も「人のために生きているのか」と、今後も日々自問したいと思っております。

 さて、令和6年度をふり返ると、保護者の皆様・地域の皆様のお力添えにより、本校の教育活動をはじめ、屈巣小夏祭りや川里フェスティバル等の諸行事を計画どおりに実施することができました。コロナ禍を経て形態の変化はありますが、子ども達にとって行事の意義や効果を強く感じました。また、保護者の皆様や屈巣小OB・OGの方々をはじめ地域の方々の温かい「屈巣小愛」が継続することを可能としているとも感じました。本当にありがとうございました。

本日、無事、令和6年度の屈巣小学校の教育活動が終了しました。力不足のところがあり、ご心配やご迷惑をおかけすることもありましたが、子どもたちが笑顔で下校する様子を見ながら、屈巣小学校の職員であることの有難さと誇りを噛みしめました。

 本校職員一同、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

 明日から、春休みとなりますが健康や安全に留意してお過ごしください。

 新年度の4月8日の始業式、くすっ子たちには、元気に登校してほしいと願っています。

 体育館への通路脇には、梅やハクモクレンの木があり、毎日、子どもたちの登下校を見守っています。その梅やハクモクレンが、つぼみを付け、春が近づいていることを教えてくれています。2月は、冷たい季節風が強く吹く日が多く、まさに校歌の「秩父おろしに鍛えた体」となりました。
 いよいよ3月を迎えます。進級・進学を「開花」とすれば、今の子どもたちは、まさに冷たい季節風を耐えながらも、開花のエネルギーをためている「つぼみ」と言えます。年度の最後の子どもたちの貴重な日々を私たちも大事にしたいと思います。
 さて、 2学期の全校朝会で、屈巣小のキャッチフレーズ「花いっぱい、夢いっぱい、笑顔いっぱいの・・・屈巣小」の・・・には、「美しい」と入れたいという話を私はしました。それ以降、子どもたちは、美しい屈巣小になるように、努力をしています。教室内の机上やロッカーの中を整理整頓していつも、美しい状態にしようとしたり、冷たい水ぶき雑巾でも我慢をして廊下をふき、美しい廊下にしたりする姿を多く見かけます。これは、大変すばらしい変化だと思っていた2月の中旬に、次のようなニュースを見ました。

 それは、大雪のためにタイヤが空回りをして動けなくなってしまったトラックを通りかかりの車の運転手が、雪が降りしきる中を颯爽と集まり、十数人で後ろから押して助けたという話です。動けなくなったトラックは、荷物を積んでおり、荷物を届けなければ、お店やお客さんに迷惑がかかるところでした。本当にありがたいと思った運転手は、助けてくれた方々に御礼がしたいと思い、名前や連絡先を教えてほしいとSNSを通じて伝えたそうですが、「御礼は必要ありません。」「名乗るほどの者ではありません。」というコメントが返ってきたとのことです。

 このニュースを見て、雪国で暮らす人々のお互い様の気持ちの美しさを感じました。そして、美しさは、ただ単に掃除などをしてきれいに整えることだけではなく、人の内面(心)にもあるものと実感しました。それは、優しさ、強さ、たくましさとも言えるものです。 

 くすっ子たちの心の美しさに注目し、互いに磨きをかける3月にしてまいりたいです。

~花いっぱい、夢いっぱい、笑顔いっぱいの美しい屈巣小~

 1881年(明治14年)1月25日は、屈巣小学校の開校の日です。屈巣小の歴史をひもとくと、起源は、明治6年、観音堂となります。その後、明治8年から真福寺さんと円通寺さんに分かれ、明治14年に、今の放課後児童クラブ(学童)の場所に校舎が新築され、統合されたことをもって「開校」としたようです。これは、昭和33年に当時の川里村において、制定されました。
 その後、尋常小学校屈巣学校・屈巣尋常高等小学校・屈巣国民学校・屈巣村立屈巣小学校・川里村立屈巣小学校と学校名が変わり、昭和37年に、今の地にあった川里中学校屈巣分教場に小学校を開設し、昭和38年には、二階建て校舎を旧屈巣小学校(現学童の地)から移動させました。当時のことを知る方からは、「ころ」という丸太を何本も敷いて、人力で木造校舎を移動させたと伺っています。また、旧屈巣中学校の最初の卒業生が植えた記念樹が、毎朝通過する正門付近の桜の木だとのことです。

 さらには、令和5年に屈巣小学校の歴史を調査してくださった竹内さん(屈巣小OB)によると、今の屈巣小学校の場所には、江戸の頃までは、大きなお寺(修験寺院)があり、「桜本坊(さくらもとぼう)」と呼ばれていたそうです。桜本坊には、歴史の教科書に出てくる行基(ぎょうき)が作ったとされる薬師如来坐像と、これも教科書に出てくる運慶(うんけい)が作ったとされる立ち姿の薬師如来像が安置されていたとのことで、このことから、その昔は、屈巣小周辺には薬師前や薬師堂という地名があったのだろうということです。ちなみに、桜本坊は、京都のお土産で有名な「八ッ橋」で知られる京都聖護院の配下の寺院でもあるとのことです。実は、体育館の玄関に向かう左手にある石碑も、桜本坊を語る歴史的資料なのです。竹内さんのレポートの最後には、以下のくだりがあります。

 『元桜本坊跡地には、屈巣小学校が開設され、多くの子どもたちが日々勉学や運動に勤しんでいる姿を見ることができる。それは、かつてこの地で日々修験の鍛錬に励んでいた若き寺僧や境内で遊び回っていたであろう、村の子どもたちの姿と重なりあう。』

 明治の学校制度ができる前の数百年以上前から、屈巣小学校の地は村の勉学の地=文教地域であり、屈巣地区にとっての宝です。そして、私はそのことを誇りに思えてなりません。開校150年に向けて、「屈巣小愛」あふれる学校となるよう引き続き、皆様のご支援を賜りたくお願い申し上げます。

新年、明けましておめでとうございます。

 2025年(令和7年)を迎え、皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。今年が皆様にとって幸多い年となりますよう、御祈念申し上げます。また、旧年中は、本校の教育活動に、ご理解とご協力を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。

 さて、今年は、巳年(みどし)。干支(かんし)を組み合わせると、「乙巳(きのとみ)」の年となります。これは、よく耳にする「丙午(ひのえうま)」と同じ言い方になります。「乙巳(きのとみ)」の「乙」は、しなやかに伸びる草木を意味し、「巳」は、脱皮を繰り返すヘビということから、柔軟性のある成長を象徴しているそうです。このことから、「乙巳(きのとみ)」の年は、しなやかさや柔軟性をもって成長できる年になるとのことです。【参照HP:https://www.accessjob.jp/column/23829/#shinayaka:アクセスジョブ】

 今年は、まさに本校の学校教育目標『しなやかに、たくましく生きる「くすっ子」の育成』にぴったりの年となりそうで、とても楽しみです。そのために、今の学年をしっかりと締めくくりたいと思います。

 

 

 校庭のイチョウを初め、落葉樹の紅葉がとても美しく、心を落ち着かせてくれます。また、11月12日に植えたパンジーやビオラも、しっかり根付き少し株を増やしています。まもなく師走ですが、最高気温が15度以上の日が続き寒がりの私にとってはありがたいことです。しかしながら、農作物の収穫など第一次産業に大きな影響が出なければいいなとも思います。ところで、「なぜ、樹木は紅葉するのか。また、紅葉する木としない木があるのはどうしてないのか」と素朴な疑問を感じましたので、調べてみました。

 

 なぜ落葉する木々と常緑のままの木々が,あるのでしょうか。植物は数億年の間に進化する過程で,冬の間は葉を無くしたほうがエネルギー(養分)を節約できるとした木々は,落葉するほうを選んだようです。葉を落とすと光合成による養分は作ることができませんが,葉が作る養分より消費する養分が多いので落葉するほうを選んだのでしょう。一方,常緑樹のほうは進化の過程で冬の間も葉を落とさず合成,光により養分を生産するほうが消費量を上まわり得策だとして,葉を残すことにしたようです。ただし,常緑の葉も1~3年の間に落葉して新葉と交代しています。さて,紅葉と黄葉の話ですが,普段は葉緑体の緑色(クロロフィル)が勝っていて,普段から葉に存在する赤色(アントシアニン)や黄色(カロテノイド)は隠れていて見えませんが,紅葉のこの時期に姿を現し増殖します。そのきっかけは,秋になり気温が低くなると葉緑体の働き(光合成)が低下することです。働きが低下すると養分ができなくなり葉は老化します。老化すると葉の柄の部分に,葉を切り離すための離層という細胞の層を作り,水や養分を遮断します。葉の柄が遮断されると葉には糖分がたまり,アントシアニンが増えて赤色を発し紅葉します。アントシアニンが多く増殖し紅葉する木々は,カエデ類,ウルシ類などです。一方,カロテノイドが増殖し黄葉する木々は,イチョウやポプラ,カツラなどですが,これらの木々では,遺伝子の関係で赤色を発するアントシアニンは合成されないようです。紅葉には紫色のような中間色の葉もありますが,紫色は葉緑体の緑色が残っているうちにアントシアニン(赤色)が合成され,色が混合したものと思われます。ガマズミやノウゼンカズラ,シソなどが紫色を呈します。

 教育出版HP  教育研究所「No.388 「落葉と常緑,紅葉と黄葉」(2014年10月24日)」より引用

 https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/kenkyu/case1/2885.html

 

 少々、難しい話になってしまいましたが、樹木が生命維持のために、自ら体の機能を作り出しているということが、理解できました。そのおかげで、人類誕生以来、樹木が出す酸素を私たちは吸うことができているばかりでなく、人類をはじめ生き物が排出する二酸化炭素を光合成によって酸素に替えてくれていると思うと、樹木の果たす役割は、地球上の生き物ばかりか、地球全体に欠かせないものだといえます。SDGs教育の必要性が昨今クローズアップされています。17個ある持続可能な開発目標の根幹ともいえる「森林と人間の関係」を黄金色に輝く校庭のイチョウを見つめながら問い直した初冬です。

 あれほど暑かった夏がいつの間にか遠くに過ぎ去り、朝晩は少し厚手の上着が欲しいと思う季節になりました。令和6年度も、7か月が過ぎ、季節の移ろいの早さ、時が経つ早さに驚いています。

 さて、私は毎朝、出勤すると、まず校庭を1周します。遊具を点検したり、ごみを拾ったりしながら歩いているのですが、私にとっては「よし、今日も1日がんばるぞ!」と思いを新たにするとても良い時間になっています。

 屈巣小を訪れる誰もが「いいですね」「すごいですね」と言ってくださる自慢の校庭の芝生は、地域の芝生管理隊の方々に支えられています。いつも子どもたちが走りやすいように、適切な長さに刈り込んでいただいているので、「ふわふわだけれど、長すぎない」とても気持ちの良い長さです。芝生の上を歩いて、「昨日は雨が降ったけれど、今日は乾いているかな」と確かめるために芝生を触ります。芝生が乾いていると、「よかった。子どもたち、喜ぶだろうな」という気持ちになりますし、濡れていると、「きっと子どもたちはがっかりするだろうけれど、靴下がびしょびしょになってしまうだろうから、朝の外遊びは我慢かな・・・、2時間目休みには乾いているといいな」と祈りながら、朝礼台に赤いコーンを立てます。

 滑り台やジャングルジムのあたりまで歩きながら、ごみを拾ったり、遊具を触って危険がないか確かめたりしているのですが、赴任してこの7か月、屈巣小の校庭に落ちているごみは本当に少ない、ということに、本当に感心しています。放課後に遊びに来る子どもたちもいますし、土日に校庭を使用される団体や地域の方もいらっしゃるのですが、ルールを守って、大切に使ってくださっている、ということを本当にありがたく思います。

 校庭の見回りが終わると、今度は校舎内を回ります。子どもたちが登校する前に、校舎内に異常がないかの点検や環境整備をしていますが、子どもたちの新しい図工や書写の作品を見て、ひとりひとりの頑張りに感動したり、整理整頓がしっかりできているクラスに「すごい!」と感心したりすることができて、とてもうれしい気持ちになります。

 そして7時45分。弾けるように教室に飛び込んでくる子、少し疲れた様子の子、子どもたちの様子はさまざまです。登校するや否や、通学途中で起きた出来事を夢中で話してくれる子もいれば、途中で転んでしまった低学年の子を優しく介抱して、励ましながら連れてきてくれる6年生がいたりと、朝の短い時間に、心を動かされる出来事がたくさんあります。優しく、一生懸命なくすっ子たちに出会えるこの一日のはじまりの時間を、私はとてもかけがえなく思っています。

 先週土曜日の本校の運動会では、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 今年は、9月当初からお彼岸までは、猛暑により練習を中止しなければならない日が続いたり、直前の週は、雨の心配があったりで、土曜日の開催が危ぶまれる状況でした。予定通りに進まない毎日ではありましたが、体育主任を中心に練習や諸準備をやり繰りして、運動会当日を迎えることができました。

 児童も、各々が頑張り、運動会テーマ「仲間と協力 笑顔と絆の運動会」にふさわしい内容にしてくれました。また、準備や片付けにお手伝いいただいた方々にも、感謝申し上げます。例年、皆様のご協力により運動会終了後の片付けをあっという間に終わらせていただいていることに、改めて御礼申し上げます。

 10月は、11月7日(木)の鴻巣市教育研究実践発表大会に向けて、国語科の学習に力を入れてまいります。当日、他校の先生方に授業を公開する学級のみならず、全校で「言葉を増やし、生活を広げる」ことに取り組んでまいりたいと思っております。昨年11月号の学校だよりの繰り返しになりますが、戦後の日本の国語教育を牽引した 大村はま 先生の言葉を原文のまま引用いたします。(大村はま記念国語教育の会HPより)

〇子どもが語彙(ごい)を増やすということは、結局生活を広げることです。

〇ただ、ことばづかいがじょうずだというようなことだけではなく、ことばにたいしては、常に敏感であり たいと思っています。そして、ことばの端々にこもってくるその人の気持ちを感じとるような敏感さと、そこにこめられている自分のことばの端々にいろんな気持ちをこめることをさせたいのです。

〇発表する人に対する温かい気持ちやそれをもり立ててあげる気持ちやその人が言い足りないでいるところを質問してあげる気持ちが大切です。発表する人がいっしょうけんめい発表したけれど、上がっていて大切なことを落としたり、時間が無くなって割愛(省略)したりしたときなどに、その内容をよく知っているお友だちが、じょうずに質問してあげるっていうようなことは、たいへん大切なことだと教えます。

 いずれも、昭和45年に語られた内容ですが、54年後の現在においても、色あせることなく、人として生きる上で大事にしたい感覚であることを教えてくれます。1か月後に迫った発表大会が楽しみです。

 夏休みが終わり、くすっ子が学校に戻ってきました。本日、校舎内に子どもたちの声が久しぶりに響き、自然と気持ちを切り替えることができました。まだまだ、暑い日が続くようですが、子どもたちには学校生活のリズムを徐々に取り戻してほしいと思います。
 さて、今回は、夏休み中にあった出来事についてお伝えしたいと思います。
 一つ目は、5年生の林間学校です。令和2年度以降、川里3小学校合同での実施を見合わせていましたが、4年ぶりに3小学校合同の林間学校を1泊2日で実施いたしました。同行した私が、2日間の中で、一番の思い出となっていることは、2日目の飯盒炊さんです。
 内容は、飯盒を2つ使い人数分のご飯を炊くことと、じゃがいも、にんじん、玉ねぎを切って、ウインナーと大きな鍋で煮て、最後にカレールーを混ぜること。いずれも、薪を燃やして、直火で調理しなければなりません。5・6名で1つのグループをつくり、その場で作業の役割分担を決め、1時間ほどで、どのグループもおいしいカレーライスを完成させました。
 作業によっては、5年生の子どもにとって手慣れたことではなかったのではと思いますが、それぞれ受け持った作業において、各自が持てる力を惜しみなく発揮している様子がどのグループにも見られました。かまどの係で煙やすすを浴びて、時に目が痛くなるのを堪えながら炎を調節して子、お米を丁寧に研ぎ、ちょうどよい量の水を入れた子、ピーラーで念入りに野菜の皮をむいていた子など、一人一人の努力を互いに褒め合いながら食べている姿が、今でも忘れられません。(林間学校の詳細については、本校ホームページをご覧ください。)

 二つ目は、おやじの会主催の屈巣小夏祭りです。熱中症が心配される暑さの中、焼きそばやフランクフルトを焼いてくださった方々や射的のテントの中で、お客さんお対応をしてくださった方々。かき氷をつくったり、風船ヨーヨーを膨らませることをしてくださった方々、ピンポン玉のボール入れゲームを制作し、運営してくださった方々、きもだめしのコースづくりをしてくださった方々、キャンプファイヤーのやぐらを組んだり安全対策をしてくださった方々、消防署への届けや機械や器具の事前点検や買い出し等々の準備をしてくださった方々。(まだまだ、お仕事はたくさんありますが省略をさせていただきます。)おやじの会の会長さんやPTA会長さんを中心に、子どもたちのために、200%の力を発揮していただきました。中には、初顔合わせの方と作業を一緒にするという場面もあったのではないかと思います。子どもたちを楽しませたいという気持ちで、お互いが結び付いている見えない糸を私は感じることができました。 
 この二つの出来事には、共通点を見出すことができます。それは、目的・目標に向かって、人が集まり、持ち場において各自の持てる力を発揮させ、一つのことを成し遂げ、達成感を得る。その達成感が、互いの心を結びつける。ということです。
 今日から始まる屈巣小の2学期の授業・学年行事・学校行事においても、上記のような心の通い合いをめざしてまいりたいと思います。今学期もどうぞよろしくお願いいたします。

 横断歩道を渡った後、停止してくださった運転手さんに、会釈をする。その姿を都心の国会議事堂前の路上でも見ることができました。
 それは、先月14日(金)に6年生が、社会科見学で出かけた際のことです。国会議事堂を後にして、バスが待つ駐車場へ向かうために、数名の児童と大きな交差点を渡ると、当たり前のように、6年生は体の向きを変えて、停車をしたくださった黒塗りの車に、深々と頭を下げお礼の気持ちを伝えていました。引率者の私もそれにつられるように、6年生に遅れをとる形で会釈をし、バスに向かいました。
 この「横断歩道を渡った後、停止してくださった運転手さんに、会釈をする習慣」は、屈巣小のよき伝統です。さらに、それが児童同士の中で脈々と受け継がれているところに価値があります。私をはじめ、教職員が児童に特別に指導をしているわけではなく、上級生の姿を見て、あるいは、大人の姿を見て、児童が自発的に行動(会釈)をしている結果です。このことは、大変貴重なことであり、これからも絶やさずに大事にしていきたいことです。
 いつ、どのようなきっかけで始まり今に至っているのかわかりませんが、屈巣小の卒業生たちが受け継いできた伝統であり、これも屈巣小愛あってのことと、猛暑を逃れたバスの中で、冷たいものを飲みながら暫し考えておりました。
 「横断者がいるのだから、車は止まって当たり前だ」という考えは全くなく、純粋に自分のために、停車していただいた(手間をかけさせてしまった)ことへの感謝(申し訳ないという思いを含めたもの)を伝えている児童の姿は、とても崇高なものです。

 いつまでも、くすっ子の中で受け継がれていくことを私は願ってやみません。We love kususyo ! 

 先月、29日(水曜日)に、春の全校花植え活動をしました。1年生から6年生の全員で、1955鉢もの花を1時間足らずの時間で花壇に植えました。1年生は、初めての作業でしたが、ポットの土が地面の上に出ないように、植えることができました。2年生以上は、手慣れたもので、花の茎を痛めることなく、上手にポットから外し、花の列がまっすぐになるように植えていました。
 赤いサルビアにブルーサルビア、黄色とオレンジのマリーゴールド、水色のシノグロッサム、赤や白のベコニア、黄色やピンクのポーチュラカと、花農家さんが、手塩にかけた花で、学校が大変にぎやかになりました。芝生の濃い緑と花の色が重なり、互いを引き立てています。
 今回植えた、花々は、地元の花農家さんから納品していただいたものです。花農家さんは、みなさん、屈巣小学校を卒業した方々です。作業が終わり、児童がいなくなり花だけになった花壇を見つめていると、「屈巣小の子どもたちのために、また、母校のために、」という花づくりに携わっている方々の気持ちが、陽の光を浴びて輝く様子から伝わってきました。多くの子どもたちにとっては、「知らない人が育てた花」ということになりますが、花に込められた多くの人の思い=「屈巣小愛」を子どもたちには、感じてほしいと思います。
また、5月18日(土)から開始された、校庭の芝刈り作業も、屈巣小の卒業生を中心に構成されているグリーンキーパーズの方々が、先述の花農家さんと同じく、「屈巣小の子どもたちのために、また、母校のために、」という気持ちで、10月半ばまで毎週作業をしてくださります。先日は、駐車場等の草の刈り払いまで、していただきました。これも、屈巣小愛のおかげです。
 この他にも、屈巣小愛を児童や学校に向けてくださる方々は、たくさんおられます。(また別の機会でご紹介できればと思っております。)子どもには、その愛をたくさん感じてもらいたいですし、いずれは、未来の屈巣の子(後輩たち)に愛を与えることができる人になってほしいと思います。

 5月19日(日曜日)には、朝のテレビ番組で「はなのまち こうのす」が取り上げられ、オープニングのワンシーンで、本校の様子が放映されました。その番組タイトルは、「花 こころに咲かせて」でした。本通信タイトルの「花」も心に咲く花。心の花を育てる愛や慈しみ(=屈巣小愛)に感謝しながら視聴しました。

We love kususyo ! (Weは、屈巣小につながる全ての人)

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