ブログ

NHK「どうする家康」最終回を前にして ~徳川家と鴻巣・川里のつながり~

 間もなく冬至(12月22日)を迎えます。日照時間が短くなり、太陽のありがたさを身に染みて感じる季節となりました。保護者の皆様には先月21日からの教育相談において、お忙しい中ご協力いただき、誠にありがとうございました。担任が保護者の方々と個別にお話をさせていただく機会を設けることは、貴重な場となることを改めて感じました。
 さて、私ごとで甚だ恐縮ですが、12月は、毎年それまで楽しみにしていたことが、終わってしまう月になります。それは、12月にNHKの大河ドラマが最終回を迎えるということです。私は小学6年生から毎週日曜日の大河ドラマだけは、見続けている「大河オタク」で、12月は、まさに「大河ロス」になる月なのです。(途中、未視聴の年も数本ありますが・・・。)
 今回の大河ドラマの主人公は、タイトルのとおり 徳川家康 です。この家康とその子孫(将軍)と私たちの郷土鴻巣・川里との関係が意外とあることをお伝えしたく、前置きが長くなり失礼いたしました。
①鴻巣御殿 (引用サイト:鴻巣御殿模型について - 鴻巣市公式ホームページ(生涯学習課)
将軍が旅行のときに使用する専用の宿泊施設のこと。鴻巣御殿は将軍の鷹狩りのときに使用する施設として、1593年に徳川家康によって造られた。二代将軍秀忠、三代将軍家光も、毎年のように鴻巣を訪れていたという記録が残っている。その後、1691年東照宮(家康を祀った神社)が設けられた。

②勝願寺 (引用サイト:勝願寺にでかけよう| こうのす広場[鴻巣市]
鎌倉時代に建てられた寺、関東十八檀林(だんりん、僧侶の学問の場)の1つであり、徳川家の庇護を受けて栄えた寺院。今でも至る所に徳川家の家紋「三つ葉葵(あおい)」を見ることができる。

③伊奈忠次・忠治のお墓(引用サイト:伊奈忠次PR映像 バラのまち埼玉県伊奈町公式ホームページ )
②の勝願寺にある。伊奈忠次は、徳川家康の家臣として江戸に共に移り、関東を治める実務を担った。4年生の社会科で学習する人物。荒川と利根川の流れを大きく変える工事を次男忠治、孫の忠克が受け継ぎ、埼玉県東部(元荒川や古利根川流域)の洪水を防ぎ、新田を開発し米の収穫量の増加を果たした。元荒川は、屈巣地区のすぐ西側を流れており川里地区もこの恩恵を受けていると考えられる。

④屈巣沼☞掘り上げ田へ(引用サイト:宮代町デジタル郷土資料「テキスト/井沢弥惣兵衛の開発」 )
川里中央公園の弁天沼からゴルフ場周辺は、江戸時代前半は、かなり大きな沼で屈巣沼と呼ばれた。幕府の財政立て直しを期待された8代将軍徳川吉宗(別名:米将軍)は、米を増産させるために、家臣の井沢弥惣兵衛(これも4年生の社会科に登場)に見沼代用水(共和地区を通過)の工事を命じた。その際、流域のいくつかの沼を水田にかえる工事をした。屈巣沼もその1つ。他に行田の小針沼などがある。

 全ては、秀吉が、家康に未開の地の江戸へ領地替えを命じたことが始まりだと思います。「もし、家康が江戸に来なければ・・」今の日本社会のかたちは、違うものになっていたのかもしれません。まだまだ、徳川家と鴻巣・川里の関係はありそうです。情報をお持ちの方は、学校まで御一報いただけると幸いです。