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令和3年度 修学旅行 in kamakura/enosima/hakone/odawara

3ツ星 6年生の修学旅行

屈巣小6年生32人でつくった 修学旅行

まずは、神奈川の自然を堪能ください。

サーファー集う、江の島の海

 

宿の部屋からの景色 朝日に輝く太平洋

 

芦ノ湖の遊覧船から望む、名峰「冨士山」

 

1027_修学旅行1日目①

 新型コロナのため、実施が心配された修学旅行ですが、無事出発の日を迎えることができました。この日にかける6年生の思いが、朝から伝わってきました。さて、どんな2日間になるのか、ワクワクどきどきしながら出発しました。

「最高の修学旅行にしよう」と力強く述べた代表児童。思いは、みな同じだ。

 

さあ、「いざ、鎌倉へ」 出発だ!

 

バスに揺られて2時間余り、あっという間に湘南海岸に着き、車窓から海が見えると自然と拍手と歓声が沸き上がりました。

残念ながら、曇天でしたが、しばし、普段見慣れない海の景色に目を奪われていました。

 

しばらくすると、江ノ電が並走し、鎌倉高校前駅では、スラムダンクの話で盛り上がっていました。

海岸では、サーフィンをしている人がたくさんいて、上手に波に乗れている方へ車内から拍手を送る子どもたちもいました。オリンピック競技があったせいか、子どもたちのあこがれのスポーツのようです。

 

鶴ヶ丘八幡宮に到着しました。天気がどうも、味方をしてくれず、雨足が強まるばかり。どうか、天気がよくなりますようにと、旅の安全と好天を私はお願いしました。

1027_修学旅行1日目②

雨の鶴ヶ丘八幡宮 雨は歓迎の証とも言われています。

源頼朝が、祀られている「白旗神社」

源氏の旗が、白いのも納得!

 

こんなに大きな「さざれ石」は、初めて見ました。

 

この道は、流鏑馬(やぶさめ)が行われる通りです。

 

参道はとても広く、海岸まで続いていました。(赤鳥居の向こうに、海岸が見えるはずでしたが・・・、残念。)

再びバスに乗り、高徳院の大仏を目指しました。この頃には雨もあがり大丈夫かと思いましたが・・・・。

到着とともに、再びの雨・・・。

レンズがすぐに濡れてしまうほどの強雨の中での集合写真となりました。それでも、笑顔を忘れない、素敵な子どもたちです。

大仏さまは、6年生を見守ってくださっています。

 

大仏さまの「わらじ」が、ありました。なんと大きいこと。

 

大仏さま見学の後は、お待ちかねのランチタイム。ホカホカのせいろう飯が、待っていました。午後は、江の島に向かいます。天気が回復すると最高なのですが・・・。

 

願いが通じて、劇的に天候が回復しまいした。江の島の海で最高の記念撮影ができました。

 波うち際で、恐る恐る遊んでいる児童の中で・・

 やっぱり、海を肌で感じないとと、一人海に向かう人影が・・・。

 

 この後、多くの児童が海に足をつけました。学校の砂場とは違う砂の感触、海水の感触、波が肌にあたる感触を楽しみました。

まだまだ 遊びたいところですが、児童は、足についた砂を払っています。しかしながらバスの中に砂を持ち込んでしまいました。バスの運転手さん・ガイドさん、大目に見ていただき、ありがとうございました。おかげで、海の感触をたっぷり味わうことができました。

 

さて、本来の目的にもどります。それは、新江の島水族館。そしてイルカショー。

ショーの30分前から最前列にカッパを着て陣取り、水しぶきを浴びる児童もいました。(そういうことができると教えたのは、私です。)

このあと、館内を見学し、お土産も買って、宿泊地の湯河原温泉へ向かいました。

1027_修学旅行1日目③

夕闇迫る中、児童は湯河原温泉のホテル「あかね」に到着しました。

入館式を終えて、館内に入りました。

そして温泉につかり、お待ちかねの夕食となりました。

まさに、「同じ釜のめしを食う」。みそ汁のお椀のふたの取り方を学びました。

 

時刻は、あっというまに午後8時。各部屋で遊んでいた32人が、再び広間に集まり、思い思いにゲームをして楽しみました。

先生たちも、童心に帰って、楽しい時間を児童と共有しました。

楽しい時間は、あっという間にすぎ、各自が布団を敷き、就寝しました。

明日は、どんな1日になるでしょうか。今日1日、たくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました。

 

1028_修学旅行2日目①

明け方に雨が降りましたが、夜明けとともに、徐々に雲がとれてきました。

ホテルからは、東海道本線や東海道新幹線が見えました。

 

2日目の朝を迎えました。熱海伊豆山の災害があった7月の豪雨の影響で、予定していたルートの通行止めが解除されていないこと、箱根関所の入場に人数制限があるとのことから、急きょ出発時間を早めなければならなくなりました。(これは、1日目に子ども達には伝えてありました。)

早まった出発時刻に間に合わせるために、この後、6年生は底力を発揮しました。

朝食前に、部屋の片づけ・荷物まとめを終えて・・・

優雅に、海を眺めています。「帰りたくないなぁ」と思っているのでしょうか・・。

 

さあ、朝食です。時刻は朝の6時45分。

鮭の塩焼きは、脂がのっていて大変おいしかったです。シラスも海のそばの宿ならではのおかずでした。

退館式を終えて、箱根に向けて出発だ。

ホテルの方からは、「素敵な旅・思い出を」と見送っていただきました。児童が、大変お世話になりました。ありがとうございました。

出発予定時刻より、5分早い7時35分には、バスに乗り込むことができました。忘れ物も無し、具合の悪い児童も無し、この日の朝の6年生の動きに、ガイドさんも「素晴らしい団結力・チームワーク」と驚いていました。野球で言うなら、逆転満塁ホームランです。あっぱれ、6年生!!

 

湯河原の街ともお別れです。昨日通った道を戻り、小田原を経由して40分ほどで、箱根につきました。(青矢印の下が小田原城)

 

シャッターチャンスを逃してしまいまして・・。富士山が隠れてしまいました。

箱根の関所にこの日1番に到着。

関所の貸切状態となりました。早起きは、三文の徳とはこのことですね。

係員さん曰く、この秋一番の雪をかぶった富士山だとのことです。

江戸時代と変わらない関所周辺の景色。空気も澄んでいて、嫌なことも吹きとぶぐらいの景色でした。

関所の資料館を見学した後、「箱根八里」の歌碑の前に行きました。写真では文字がはっきりしませんので、以下に歌詞を掲載します。6年生は、3学期に音楽の時間に学習します。ぜひ、歌えるようになってくださいね。

箱根八里 

作曲 鳥居 忱(とりい まこと) 作詞 滝 廉太郎(たき れんたろう)

箱根の山は 天下の嶮(けん)

函谷關(かんこくかん)も ものならず

萬丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷

前に聳(そび)へ 後方(しりえ)に支ふ

雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす

昼猶闇(ひるなほくら)き 杉の並木

羊腸の小徑は 苔滑らか

一夫關に當るや(あたるや) 萬夫も開くなし

天下に旅する 剛氣の武士(もののふ)

大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ

八里の岩根(いわね) 踏みならす

かくこそありしか 往時の武士

 

歌詞の意味や実際の歌は、以下のサイトをご覧ください。

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/hakone_hachiri.htm

引用元:Webサイト『世界の民謡・童謡』

 

 

1028_修学旅行2日目②

関所見学の後は、芦ノ湖の遊覧船に乗ります。出航までの時間を湖畔で過ごしました。

時刻は10:00 船は、静かに出航しました。

ポスターの写真では、ありません。私が撮影した写真です。

まさに、日本晴れです。この季節のこの時間でないとみることができない景色です。

そして、お決まりのポーズ(タイタニック号)

やや肌寒くも、爽やかな風を受けながら、遊覧を楽しみました。

この後、再びバスに乗り、6年生は小田原の街をめざしました。

 

「いただきます」の掛け声をかけますよ・・。

まずは、かまぼこ屋さんで昼食タイム。かまぼこづくしのメニューでした。

昼食後は、お土産を買いました。おこづかいの残りは、あったのかなぁ?

 

 

 

1028_修学旅行2日目③

最後の見学地の小田原城に到着!

ここで、歴史の学習を少し・・。

戦国時代に小田原城主だった北条氏と屈巣(川里地区)は、縁があったことをご存知ですか?少し解説します。

その昔、屈巣地区は、忍城(今の行田市)の殿様が治める領地でした。その痕跡が、屈巣の久伊豆(ひさいず)神社(第2横断から新幹線の方へ向かうとある神社)にあります。神社の石碑には、「従是北忍領」(これより北、忍領)と書かれています。

そして、今から431年前の1590年に天下統一をめざして豊臣秀吉が小田原城を攻めた時、小田原城主だった北条氏政・氏直(戦国大名の北条早雲の子孫)の支配下に、行田の忍城(城主は成田家)がありました。織田信長や豊臣秀吉の時代、屈巣は直線距離で約100㎞離れた小田原城主の配下だったということです。

この秀吉が、小田原城を攻めていた時に、北条側(小田原側)の忍城を攻めたのが、後の関ヶ原の戦いで家康に負けた石田三成でした。ちなみに、この時の様子を映画にしたのが「のぼうの城」です。のぼうとは、当時の殿様だった成田長親の愛称です。

そして、この時、三成が陣を構えたのが、行田のさきたま古墳(丸墓山古墳)です。石田三成は、忍城を水攻めにしました。水攻めとは、川をせき止め、敵が住む領地を水没させ、降伏させる戦法です。屈巣は水をせき止める人口の堤(堤防)の外側だったので、難を逃れました。この時の堤の一部が吹上の下忍地区に「石田堤」として残っています。

興味を持った人は、いつでも校長室に来てくださいね。

参考サイト

再発見 行田の歴史コンテンツ⑬「忍領境界石 誕生秘話!」

https://www.youtube.com/watch?v=6KbJpdIJHXM

 

話をもとに戻しましょう。

小田原城見学は、グループ行動をしました。

城内に用意されているクイズラリーにみんなで取り組みました。

最後は、みな天守閣にあがり、小田原の街、相模湾の景色を目に焼き付けました。

天守閣で受けた海からの潮風は、一生の思い出ですね。

 

城の南側です。遠くには、千葉の房総半島や伊豆大島が見えます。(写真ではわかりません。ごめんなさい。)

 

城の西側です。昨夜泊まった真鶴や湯河原・そして伊豆半島方面です。

 

こちらが、午前中に行った箱根の山です。意外にも富士山が見えません。

 

修学旅行もいよいよ終わりに近づいてきました。名残惜しい気持ちをおさえて、この後バスに乗り、学校に向かいました。

 

ほぼ予定どおり、16:10 バスは屈巣小正門前に到着しました。保護者の方々のお出迎えを受け、無事帰校しました。

旅の疲れを感じさせないピリッとした態度で到着式を行いました。

保護者の皆様には、お出迎えの車の駐車についてご配意いただきありがとうございました。

「修学旅行を創るのは、先生ではない。6年生のみなさんです。32人でつくる修学旅行にしよう」と、出発の朝に私は6年生に話しました。小学校生活で最初で最後となった宿泊行事。先生の指導は多少受けましたが、ほとんどは、室長や班長を中心に子ども達が主体的に行動していました。けじめある、立派な態度も随所に見られました。屈巣小の最上級生としての成長ぶりをたくさん感じることができた2日間でした。

卒業まであと5か月間。また一つ、32人でできることが終わってしまいましたが、次の目標に向かって、青帽子のみなさんのチームワークをさらに高めるよう、1日1日を大切に過ごしてください。

「校長先生に頼んで、もう一泊したい」と引率教諭に話していた児童がいたとのこと。それだけ、仲間といることを楽しんでいたのだと思います。来月には、日光江戸村・東照宮見学が待っています。また、32人で素敵な日にしたいですね。

最後に、バスの運転手さん・ガイドさん・ホテルで働くみなさん・見学先や昼食場所で働くみなさん・その他今回の修学旅行にかかわってただいたみんさんに、感謝いたします。最高の2日間をありがとうございました。

私の2日間の一番の思い出は、江の島の海岸で裸足になって遊ぶ子ども達でした。埼玉は海なし県なので、余計にそう感じるのかもしれません。へたをすると、砂浜に埋まっている貝やガラスでケガをすることも考えましたが、このメンバーで同じ体験をすることは2度とないと思い、制止することはしませんでした。むしろ、私も裸足になって海水につかりたいと思っていました。(少し後悔しています。)

さて、6年生のみんなさんは、2日間の何が一番の思い出ですか。後日、教えてくださいね。(2021.10.31 校長文責)