くす・クス・kusu 日記

0130_開校記念日(1月25日)について

 日にちが、過ぎてしまいましたが、屈巣小の歴史を紹介いたします。

 

①黄色のアンダーラインに登場する 御蔵場や薬師前は、今の学童周辺のことをさします。屈巣地区が、忍藩(今の行田市)の領地であった時代に、お米を貯蔵する蔵があったそうです。薬師前といくことは、薬師神社または薬師如来(お寺)があったことをうかがわせますが、今は学童近くに神社やお寺は現存しません。しかし・・・!!下の写真の灯篭を学童のすぐ南側で見つけました。

書いてある文字を拡大してみると「阿夫利神社御神燈」とあります。

阿夫利神社が、薬師と言われていたのでしょうか。阿夫利神社を検索してみると、神奈川県の大山阿夫利神社が本山となっていましたが、「薬師」とは関係がなさそうでした。このことについての情報をお持ちの方は、ぜひ、学校までご連絡ください。

②水色のアンダーラインの部分ですが、広田や野の児童も通っていたとあります。今の学区よりさらに広い範囲が、当時の学区だったのです。「野」は、今の行田市野です。屈巣の北側の地区となります。

③ピンクのアンダーラインに関しては、今の学童のそばの消防団の建物の前にある石碑(写真左端)が歴史を物語ってくれます。

石碑からは、昭和11年(1934年)に校舎の改築が行われたことがわかります。地域の大勢の方の寄付で、尋常高等小学校の改築が行われたようです。

④の緑のアンダーラインからは、今の屈巣小学校には、当時の中学校があったことがわかります。また、翌年に校舎を移転したあり、これが、「校舎を引っ張って移動させた」という話と結びつきます。中学校は?というと、今の川里中学校の場所に新しくできました。このころの屈巣小学校様子を知ることができる写真が下の「100周年記念の航空写真」です。

学校に現存する資料が、残念ながら乏しく詳細をお伝えすることができず、残念です。記載について誤りがある場合は、学校までぜひご連絡ください。また、明治・大正・昭和初期の古い写真や資料をお持ちの方がいらっしゃったら、ご一報いただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。